■作曲ゴリラというタイトルの、作曲を題材にした小説です。
第1話 作曲の祭典【2019年1月26日更新】
第2話 修行開始の狼煙を上げて【2019年1月29日更新】
第3話 カスタネットおじさん【2019年2月15日更新】
第4話 入塾【2020年8月2日更新】
第5話 調理【2022年7月2日更新】


第1話
【作曲の祭典】

 俺の名前は作曲ゴリラ。
作曲が名字でゴリラが名前。
作曲家を目指して日々精進する高校2年生だ。

 今日は全国の作曲家たちが腕を競い合う作曲の祭典、
MBT(MusicBattleTournament)に参加しに来ている。
会場に集まった約1万人の参加者たちが
トーナメント形式で1対1の作曲バトルを行い、
たった一人の頂点たる作曲者を決めるのだ。

 会場はすごい熱気だ。ここにいる参加者たちは、
全員が作曲をする人なのだから驚きだ。
学校では作曲をする友達なんてほとんどいないから、
そのギャップに驚いてしまう。こんなに大勢の作曲家たちが、
普段どこに隠れているのだろうか。

 受付を済ませ、トーナメントの組み合わせが発表される。
今回の参加者は10256人。
第1回戦は8192人がそれぞれ1対1で戦う。
つまり、1回戦だけでも4096もの試合が行われることになる。
1回戦に参加しない人はシード枠で、2回戦からの参加となる。
シードは前大会の実績などに関係なく、ランダムに決められるらしい。
決勝に行くまでに14回戦もある。
 表を見ると、俺は1回戦からの参加となっている。
どうやら1回戦の中でも、一番早い時間帯で行われる試合のようだ。
相手の名前は「如月タクト」。洒落た名前だなぁ。
もしかして、音楽一家だったりするのだろうか。

 大会のルールはシンプルだ。
お題が与えられ、制限時間内に曲を作る。
審査員による多数決で、曲がより優れていると認められたほうが勝者となる。
1回戦には3人の審査員がつくらしい。本当にすごい規模の大会だ。
一人5000円の参加費だけで費用を賄えているのだろうか。

 もう間もなく試合が始まる。
俺は機材の入ったスーツケースを転がしながら、
1回戦が行われるブースへと足を運んだ。
 楽器や機材は自分で持ち込むルールだ。
俺はパソコン上で作曲をするスタイルだから、
愛機であるノートパソコンと、それにインストールされたCu○ase、
そしてMIDI鍵盤とオーディオインターフェースだけで充分だ。
ちなみに、MIDI鍵盤は音の確認用だ。ピアノ弾けないし。

 ブースの辺りに着くと、対戦相手の如月タクトは先に来ていた。
同い年くらいに見える。機材は俺と似た構成だが、
ギターを持っている。ギター弾けるのか。かっけーなぁ。
せっかくだから挨拶しておこうかな。

 俺は如月タクトのブースへ近づき、
なるべくフランクになるよう心がけながら、にこやかに挨拶をする。
「初めまして、俺は作曲ゴリラ。今日はよろしくな。」
すると、如月タクトは人当たりのよい笑みを浮かべながら挨拶を返してきた。
「作曲さん、こちらこそよろしくお願いします。ボクは如月タクト。」
「ゴリラって呼んでくれよ。年も近そうだしさ。あ、俺は高2なんだけどね。」
 少し馴れ馴れしすぎたかなと思ったが、如月タクトは気を悪くした様子もなく返事をしてくれた。
「ボクも高校2年生だよ。ええと、ゴリラ、ボクのこともタクトで構わないよ。」
「同い年かー! 学校でも作曲する友達とかいなくて、作曲家目指してて孤独でさ。タクトに会えてよかったよ。」
普段人見知りの俺だが、予想外に打ち解けて喋れている。タクトの人柄だろうか。
そう思っていると、タクトから予想以上の反応があった。身を乗り出す勢いだ。
「君も作曲家を目指しているの!? 仲間に会えてうれしいよ。でも、今日は手加減しないよ。」
「おう、よろしくな。」
 予想以上に会話がはずんでよかった。
 タクトは人当たりのよい好青年、いや、好少年といった感じだ。俺が「世界のすぎたにこうじ先生」を目標にしていると話すと、さらに目を輝かせていた。
 タクトは俺と違いゲーム音楽系ではなさそうだが「作曲家を目指す同志と会えたことがうれしい」としきりに言っていた。
 しばらく談笑し、俺達はそれぞれの席についた。

 席につくと、机にはお題の書かれた紙が伏せられていた。
1回戦の制限時間は4時間。開始と同時にお題の内容を見て、
その題に沿った曲を1曲作ることになる。
 機材の配線をつなぎ、準備は万全だ。開始まであと5分。
試験前のようで緊張する。
 対戦相手の如月タクトのほうをちら見すると、
ギターのチューニングをしているようだ。楽器が弾けるのは憧れるなぁ。
というより、参加者では楽器が弾けない人のほうが珍しいくらいだろう。
参加資格が特にない大会とはいえ、場違いなところに来てしまっただろうか。
 いや、俺だって作曲家を目指してやってきたんだ。全力で曲を作るのみ。

 試合開始を告げるアナウンスが響く。
お題は「ボサノバ」。
 作ったことのないジャンルだ。
どんな曲なのかピンとこない。サンバみたいなものだろうか。
コンガとかマラカスとかを鳴らして、
伴奏にギターを使えばそれっぽくなるかな。
 とにかく、分からないなりにやってみよう。
ちなみに俺の得意ジャンルはゲームの戦闘曲だ。
これまでゲームの戦闘BGMのような音楽を作り続け、
その数は100に届こうとしている。その経験を生かして作ろう。

 作業に没頭すること3時間半。
俺は「剣をギターに持ち替えて~ボサノバ風戦闘曲~」を急ピッチで完成させた。

 審査は曲が完成した順に行われる。
どうやら如月タクトはまだ作曲中のようだ。
俺はオーディオインターフェースを会場の大型スピーカーに繋ぐ。
機材は基本的には持ち込みだが、再生用のスピーカーは
MBT側で用意された設備を使ってもよいことになっているのだ。
完成した曲をパソコン側から再生すると、
大型スピーカーから自分の曲が流れ始めた。
こんなに大きなスピーカーで曲を流すのは初めてだ。
なんとなく気恥ずかしいが、サウンドに迫力がある。
けっこういいんじゃないか、俺の曲。

 おそるおそる審査員のほうを見ると、
なにやら微笑ましいものをみるような目をこちらに返してくる。
あれ、どうしてだ、どうして「DTM始めたての高校生が頑張って作ったんだねぇ」
みたいな眼差しを向けてくるんだ。もしかして、その通りなのか。
曲が終わって、パラパラと儀礼的な拍手が起こる。

 次は、タクトの番だ。
タクトも曲を作り終えていたらしい。
マイクを備え付けて、ギターを構えている。
そして、パソコンをスピーカーに、つながなかった。
 タクトはギターを構え、演奏を始めた。
ピックを使わず、指で奏でる。その伴奏に乗せて、
耳慣れない外国語の歌詞で歌い始めた。

 その瞬間、俺の意識は遥かブラジルにあった。
夕日をバックに優雅にコーヒーカップを傾ける。
緩やかに時が流れ、そして、
俺の意識がMBTの会場に戻ったとき、
タクトの演奏は終わっていた。
大喝采だった。気がつけばギャラリーが大勢集まっている。

 信じられなかった。俺はずっと東京にいたのに、
一瞬で意識をブラジルへと持っていかれてしまったのだ。
しかも、苦手で飲めないはずのコーヒーまで飲みながら。

 審査員たちもブラジルに行っていたらしい。
結果は見るまでもない。3-0のストレート負けだ。

 集まっている観客たちも
口々に如月タクトの曲を絶賛している。
バチーダ奏法が素晴らしいとか、ポルトガル語がどうとか、
ジョアン・ジルベルトがなんだとか、
苦手なコーヒーを飲んでいたとか。

 完敗だ。悔しいが、こういうときは紳士的に勝者を称えるべきだろう。
俺はタクトに賛辞を述べるべく歩いていき、声をかけようとする。
「タクト――」
その声はタクトによって遮られた。
「君には失望したよ。」
えっ。
「作曲家を目指す仲間に出会えたと思ったのに。
ゴリラ、君はただ趣味で楽しく作曲したいだけの人だったんだね。」
なんだ。急にどうしたんだ。俺は戸惑いながらも腹が立って言い返す。
「なんだよその言い草! 俺だって作曲家を目指してるよ。」
だが、タクトは俺の言葉には答えず話を続ける。
「今回のお題はボサノバだ。でも、君は自分の作りたい曲を作っただけだよね。
好き放題曲を作って、演奏する楽器を変えただけだ。」
ひどいじゃないか。俺は、俺なりに頑張ったんだぞ。
「それは、解釈の問題で、ボサノバを別の視点から作ってみようと」
「元のボサノバも知らないのに? 君は色々な音楽ジャンルの研究をしたことがあるの?
君の曲、ゲームの戦闘曲風だったよね。そればかり何曲も作っているんじゃない?」
それは確かにその通りだ。俺が言い返せずにいると、
タクトはなおも言葉を続ける。
「ボクが馬鹿だった。ボクもやっと年の近い同志に会えたと思ったのに。
いや、ごめん、気にしないで。ボクが勝手に期待してしまったんだ。」
なんだってんだ。わけもわからず失望されているこの状況に、
悔しさと怒りがこみ上げてきた。
「俺だって! 本気で作曲家を目指してるさ!
タクト、いつかお前にだって追いついて、追い越してみせる。」
「君が? いつか、なんて暢気なことを言って、
向上のための努力もせず、同じような戦闘曲を書き続ける君がかい?」
タクトの言うことは全て図星だった。
今まで俺は、自分の書きたい曲だけを楽しく書いて、
それでいつか作曲家になれたらいいなって、そう思ってたんだ。
でも、それじゃ駄目だ。気がつくと啖呵を切っていた。
「来年だ。次のMBTで、タクト、必ずお前を見返してやる!」

 それが俺、作曲ゴリラとタクトの出会いだった。




第2話
【修行開始の狼煙を上げて】

「頼む、俺に作曲を教えてくれ!」
俺はクラスメートの雨宮真琴に頭を下げて懇願した。
 昨日、MBTの一回戦でタクトにボロ負けした俺は、再戦に向けて修行を決意した。
そこで、中学時代からの知り合いである雨宮真琴から作曲を教わろうと考え、
指導を頼みに来たのだが――。
「いやよ」
にべもなく断られてしまった。
真琴は軽音楽部の作曲担当兼ドラマーである。
そして、俺にとって数少ない作曲の話ができる知人なのだ。
真琴はドラムの他にも、ベースとピアノが弾ける。
身近にいて作曲を教わることができそうな人物といえば、
俺には真琴しか思い当たらなかった。
「そんなこと言わずに教えてくれよ! 俺に作曲!」
今度は倒置法を用いて頼み込んでみるが、結果は同じだった。
「だからいやだって言ってるでしょ。あんたどうせ、私が教えても聞かないじゃない」
確かに、俺は以前真琴から曲に関するアドバイスをもらったことがあった。
「もっと色々なジャンルに挑戦してみたら」とか、
「ここのハイハットとスネアとシンバルは同時には叩けないんじゃない」とか。
そのとき俺はどう答えただろうか。
たしか、「いやいや、好きな曲を作るのが一番だろ。音楽は楽しまなきゃ。
それに、人間には不可能な演奏ができるのもDTMの醍醐味なんじゃないかな」的なことを言ったような気がする。
他にもあったな。コード進行がいつも同じだとか、同じ調でばかり曲を作っているとか。
そのときは「そうなのか、まあそのうち勉強するよ」的なことを言ったような気もする。
思い返すと、俺はタクトから指摘を受ける以前にも、同じようなことを
真琴から言われていたのだ。そして、俺は真琴の意見を全く聞かなかった。
「すまん、あのときは素直じゃなかった。
心を入れ替えるから、作曲を教えてほしい。いや、教えてください!」
謝罪とともに再度頼んでみる。
「駄目ね。私のことを小馬鹿にしている人にものを教えることなんてできないでしょ。
私はこのあと練習があるから、それじゃあね」
踵を返して歩いていく真琴の後ろ姿を見送る。
ただ、妙なことに、心なしかその足取りが弾んでいるように見えた。

結局、頼みの綱だった真琴には取り付く島もなく断られてしまった。
真琴は軽音部の練習があるというので、これ以上食い下がることもできない。
というより、今のままこれ以上食い下がっても状況はよくならないだろう。
 俺は帰りの電車で、どうすれば作曲が上達するのか、
どうすれば真琴の信用を得ることができるのか、
そして、どうすればタクトに勝つことができるのかを考えていた。
 考えていても埒が明かないが、起こすべき行動も思いつかない。
答えが出ないまま乗り換えの駅で降りる。
ふと、駅前の本屋が目に止まった。
俺は吸い寄せられるようにその本屋へと入っていった。
何となく普段と違うことをしたかったのだ。
 なかなか大きい本屋である。
ビルの1階部分がまるごと書店になっていた。
これだけ膨大な本があれば、今俺が必要とするような本もあるかもしれない。
 本を探すためのパソコンがあったので、そこに「作曲 入門」と入力してみる。
すると、1番目にこんな書籍がヒットした。
『ゴリラでもわかる作曲法』。
 偶然にも、俺の名前はゴリラだ。そしてこの本のタイトルは「ゴリラでもわかる作曲法」。
運命を感じた。足早に目的の書棚へ向かう。
 しかして目的の本はあった。動物のゴリラとギターがシルエットで描かれたシンプルな表紙。
シンプルな字体で書かれた「ゴリラでもわかる作曲法」の文字。
 俺は会計を済ませ、再び家路につく。待っていろ、真琴。待っていろ、タクト。
俺はこの本で作曲法を身につけ、様々なジャンルでかっこいい曲を作ってやるのだ。





第3話
【カスタネットおじさん】


「ゴリラでもわかるんじゃなかったのかよ」
 家に帰るなり夕食を掻き込み、自室に籠もった俺は、
本屋で購入した『ゴリラでもわかる作曲法』を読み始めた。
 しかし、その内容の高度さに出鼻をくじかれていた。
いや、内容が高度であるというよりも、
俺の音楽に関する知識が乏しすぎるのだ。
自慢じゃないが、俺は楽譜が読めない。
ベタな言い方だが、ただオタマジャクシが並んでいるように見える。
 それでも一応ドの位置はわかるので、
ずらして順に数えていき、なんとか解読しながら読み進めていく。
長調と短調。コード進行について。トニック、ドミナント、サブドミナント。
 見慣れない言葉だらけでさっぱりお手上げという部分もあったが、
なんとかわかる部分もある。中には普段自分が気づかぬうちにやっていたことが
音楽理論で説明されているものもあった。
 こうして理論を勉強していると、
俺は自分の曲がワンパターンであることを痛感した。
 必ず1のコード(?)から始まるし、
楽器の編成にしても、いくつか見つけたお気に入りの音を使ってばかりだ。
楽器ごとの特性や奏法なども理解していない。
 だんだん恥ずかしくなってきた。そういえば真琴に
「実際の楽器ではできないことができるのがDTMの醍醐味だ」とか言ったっけ。
 やばい。あとでもう1度謝っておこう。
 型破りなことをするなら、まず型を知ってこそではないか。
楽器のことを全く知らずに適当にウホウホやるのでは、ただの野生児だ。
 その後もワァとかウヘェなどと言いながら夢中で読み進め、
気がつくと午前2時を回っていた。

 翌日、学校での睡眠学習を終えた俺は
帰宅部の特権を行使し、放課後すぐさま下校した。
 そして、再び駅前のビルへと急ぐ。目指すのは2階にある楽器屋だ。
作曲法の本を読んでいたら、実際の楽器も見てみたくなったのだ。
 壁に掛けられたユニークな形状のギターやベースの数々。
 少し移動すると、バイオリン、トランペット、フルート等、オーケストラで使われるような楽器も陳列されている。
 どれも結構な金額である。気軽に手が出るような代物ではない。
 もし楽器を始めるとしたら、作曲のためにはギターだろうか。
昨日得た情報だが、ギターはコードから作曲をするのに向くらしい。
 うんうん唸りながら歩いていると、楽譜や教本の置いてある場所に来ていた。
『ゴリラでもわかる作曲法』もある。売れ筋の本なのかもしれない。
 俺は昨日ぶりの邂逅に嬉しくなり、その本を手に取る。
昨日読めた部分はまだ序章の半分程度。全体の10分の1にも満たない。
俺に知識がないせいもあるが、かなり読み応えのある本だ。
 パラパラとページを捲っていると、突如、後ろから肩を叩かれた。
「君、作曲に興味があるのかい?」
 振り返るとそこにいたのは、明らかな不審者だった。
30代くらいの長身の男で、下はジーンズ、上はGジャン。
衣服のいたるところからカスタネットや鈴、タンバリンなどをぶら下げている。
男はリズムをとるように小刻みに体を揺らしており、
その度にぶら下げられた楽器が音を立てている。
 俺が呆気にとられていると、男は再び言った。
「君、作曲に興味があるのかい?」
 RPGのキャラクターではよくあることだ。
会話はこれしかプログラムされていないのだろう。
圧倒的な不審者に目をつけられてしまった俺は、
そんな現実逃避をしてなんとか心を保とうとしていた。
 放心状態の俺に不審者はなおも声をかけてくる。
「君、ゴリラ君だろ? タクト君との試合、見ていたよ。
君の曲もかっこよかったけど、残念だったね」
 えっ。
 俺の驚いた顔を見て、不審者は満足そうな笑みを浮かべた。
そのGジャンの隙間からは「みゅーじっく」と書かれた黒いTシャツが見え隠れしている。
「君さえよければ力を貸そう。強くなりたいんだろう?」
 驚きだ。この人は俺とタクトの試合を見ていたのだ。
「おじさんは一体……?」
「お兄さんだ。僕の名前は森礼二。電脳作曲バトルシステムというサービスを管理している。
僕のことをカスタネットお兄さんと呼ぶ人もいるかな。」
 突如として現れたこの不審者は、謎のシステムの管理人であり、
俺がタクトに勝つために力を貸してくれると言う。
俺は恐る恐る不審者の目を見た。不審者が熱のこもった瞳で語りかけてくる。
「ゴリラ君、君は強くなれる。一緒にタクト君をギャフンと言わせてやろう!」
俺は――。
「はい!」
 反射的に返事をしていた。



第4話
【入塾】


森礼二と名乗る怪しげな男に連れられ、
俺は男の家まで来ていた。

「さ、ゴリラくん、遠慮なく上がってくれたまえ。
詳しいことは中で話そうじゃないか」

「は、はい、よろしくお願いします……!」

玄関を通り抜け、応接室へと通される。
俺は促されるまま来客用のソファに座った。
こんな不審者に付いてきて大丈夫だったかと今更ながら不安になり始める。
森礼二はテーブルを挟んで反対側のソファに座ると、
にこやかに微笑んで話を始めた。

「さて、ゴリラくん、さきほども言ったが君は強くなれる。
そして僕は君が強くなるためのサポートをすることができる」

「あなたはいったい……」

「気のいい作曲好きのお兄さんだと思ってくれれば大丈夫さ。
でも、そうだね、一応名刺を渡しておこうか」

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 有限会社みゅーじっく代表取締役
 電脳作曲バトル管理人
 カスタネット友の会会長

      森 礼二

 よろしくね☆彡

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

受け取った名刺には、3つの肩書が書かれていた。
名刺には普通1つしか役職が書かれていないものだが、
自己紹介用ということだろうか。

「ええと、社長さん、ですか?」

「ま、ほとんど個人みたいなものだけどね。
今度、新たに作曲家を養成する塾を開くことになっているんだ。
今はそのゼロ期生を募集している」

「作曲の塾……」

「本気でプロを目指すような人にも向けた内容になっている。
ちょうど、来年のMBTで打倒タクトくんを目指すような人には
うってつけのプログラムになっているはずさ」

俺はずっと作曲家になりたいと思ってきたが、
これまでちゃんと作曲の勉強をしたことがなかった。
念願のMBTに意気揚々と参加するも、1回戦でタクトに惨敗。
奮起して真琴に教えを請うが、あっさり断られる。
そして、作曲の本を読んで勉強し始めたばかり。
もしかして、この人は俺に足りないものを授けてくれるかもしれない。

「できるなら入りたいです! でも、そんなお金は……」

「心配ナッシングさ! なんと今だけ授業料1ヶ月無料! 入会金も無料!
継続するかはその後で考えてくれればいい」

渡りに船とはまさにこのこと。

「入ります!」

俺は、今年一番のいい返事をしていた。

ーーーーーーーーーー

 翌日、俺は再び礼二さんの家に来た。
今日は作曲家養成講座第1回授業の日である。
本気でプロを目指すための講座。いったいどんなことをするのだろうか。
何しろあのタクトにも勝てるような内容なのだから、生半可ではないだろう。

「お、来たねゴリラくん。今日からビシバシ行くから、覚悟してくれよな」

「はい、よろしくお願いします!」

礼二さんについて昨日の応接室を抜ける。
廊下を渡った先にある部屋で今日の授業があるらしい。

「さあ、早速授業を始めよう!」

案内された部屋の中央には広々とした横長の机があり、
その上にまな板、包丁、おたま、泡立て器などが並んでいる。
机の端には流しがついており、ちょうどキッチンのような感じである。

「こ、これはいったい。これから料理をするなんてわけじゃあるまいし……」

「ゴリラくん、今日の授業はクッキングだ! おいしいプリンを作ってもらうぞ。
レシピや材料は全てこちらで用意したから、手順にしたがって正確に作ってみてほしい」

おかしい、作曲の授業をするはずじゃなかったのか。
もしかして、俺は料理教室に入会してしまったのか!?

「あの、礼二さん、これって作曲の授業ですよね……?」

「もちろんだ。ゴリラくんがタクトくんに勝ちたいなら、今一番必要なことが得られる。
なに、心配はいらないさ。僕もついているからね」

礼二さんは満面の笑みとともに答えた。
虫歯のない真っ白な歯が輝いている。

とんでもないところに入ってしまった。
思えば、楽器屋で突然声をかけてきた不審者にのこのこついてきて、
その場で入塾を決めてしまったのだ。
俺は言いしれぬ不安を覚えながらも、手順1【カラメルソースの作り方】にしたがい、
鍋に砂糖と水を入れて火にかけ始めた。




第5話
【調理】

「3点だよゴリラくん、100点中」

 俺のプリンを食べた礼二さんが爽やかに言い放つ。
 確かに俺のプリンはひどかった。
気泡のようなものが大量に入っているし、固まり過ぎて口触りがモシャモシャしている。それはプリンというより、失敗した卵焼きを茶碗に詰めたような代物だった。

「どうしてだ。レシピ通り作ったはずなのに」

 俺がため息をこぼしていると、礼二さんは思案げに顎に手を当てながら言った。

「ゴリラくん、もう一度やってみてくれるかい? 今度は僕がアドバイスに入ろう。と、その前に、まずは洗い物だね」

 そして20分後。
仕切り直して、再度プリン作りに挑戦だ。
まずはカラメルソース。鍋に砂糖と水を入れて火にかけ、煮詰めながら混ぜる。

「スチョーップ! スチョップ! スチョップ!」

 いきなり礼二さんが奇声を発する。
スチョップとはいったい? あ、ストップのことかな。
俺は戸惑いながら、おずおずと火を止める。

「どうしたんですか?」

「ゴリラくんはカラメルソースを木ベラで混ぜようとしているね。でも、レシピには『色がつくまでいじらずに待つ』と書いてあるぞ」

「あ、本当だ。でも、最終的には混ぜるんだから同じじゃないですか」

 俺が反論すると、礼二さんはチッチッチッと口の前で指を振る。

「もしかしたら結果は同じかもしれない。だが今はレシピ通り作る練習だ。言ったろう。手順に従って正確につくってみてくれって」

 明らかに分かるところは手順通りじゃなくてもいいんじゃないかなあ。ゲームをするときだって、説明書を読むのは困ったときだけなんだしさ。
 俺は不満に思いながらもしぶしぶ木ベラをしまい、火にかけたソースをしばらく見守ることにした。
おや、こころなしか1回目のときよりも均一に色づいているような気がする。
茶色くなってきたら木ベラで混ぜて、これでソースは完成だ。
 次は別の鍋に牛乳、生クリーム、バニラエッセンスを入れて……。

 その後、幾度となく礼二さんのスチョップが炸裂した。

「ゴリラくん、卵液は濾すって書いてないかい?」
「待った! お湯の高さが違うようだぞ。容器の半分ではなく、卵液の半分までだ。」
「強火で30分じゃないぞ! 30秒だ。道理で固いはずだよ」

 俺は勝手にいくつもの手順をオリジナル化してしまっていたようだ。というより、そもそも単純に説明を読んでいなかったのだ。

 最後は鍋から引き上げて、粗熱をとったら冷やして完成か。
そういえばさっきはホカホカのまま食べたんだった。加熱して作ったものを冷やして食べるなんて、ものすごい執念を感じる。

「よく頑張ったねゴリラくん。今日はもう遅い。プリンは冷蔵庫で冷やしておくから、明日からまた同じ時間帯に来るといい」

「はい、ありがとうございました。明日はいよいよ作曲ですね!」

「もちろん、ゴリラくんの今後の作曲に役立つ課題を用意しているよ」


 翌日。

「よく来たねゴリラくん、今日の課題はクッキーだ。サクサクホロホロのおいしいクッキーを作ろう!」

 俺は引き続きお菓子作りの修行をしていた。

 それからは連日のように礼二さんの家に通い、生チョコ、パウンドケーキ、チーズケーキ、スコーン、アップルパイなど、様々なお菓子に挑戦し、様々に失敗を繰り返していった。
 グラムとミリリットルを測り間違え、オーブンの予熱を忘れ、蒸し物に水を入れ忘れて空焚きをし……。
 しかし、失敗を繰り返すうち、徐々に完成度が上がっていった。

そして、クッキングを始めてから2週間後。

「礼二さん、今日は何のお菓子を作るんですか」

 俺が尋ねると、顔の前で人差し指をビシッと立てて答える。

「今日はフラメンコを作ってもらうよ。電脳作曲バトルでの団体戦だ」

「フラメンコ? そんなお菓子ありましたっけ」

「何を言ってるんだ、今日は作曲だよゴリラくん。これまでよく頑張ったね」

 そうだった。俺は作曲を習いに来ていたのだ。
ずっとお菓子を作り続けて、正直騙されたような気がしていた。
そして、最近はそれすらも通り越して、うっかりお菓子作りに熱中してしまっていたのだ。
 しかし、俺は作曲をしに来ていたのである。
ということは……。
「礼二さん、ついに作曲ができるんですね!」

「もちろんだとも。さっきも言ったが、電脳空間で2対2の作曲バトルをしてもらう」

「2対2ということは、俺は誰かと組むんですか? ゲームのネット対戦みたいに、その場で誰かとマッチングする感じですか」

 俺が質問すると、礼二さんはおなじみのキラリと輝く歯をのぞかせて答えた。

「普通はそうだ。だが、今日はゴリラくんと組むスペシャルゲストを呼んであるぞ」

「スペシャルゲストですか?」

「ああ、もうじき来ると思うから、しばらく待っていようか。そうだ、待つ間に、昨日冷やしておいたゴリラくんのプリンでも食べようじゃないか」

 礼二さんは流れるような動作で冷蔵庫からプリンの容器を2つ取り出し、テーブルに並べた。
 俺と礼二さんは机を挟んで椅子に座り、いただきますと手を合わせてプリンを食べ始める。

「120点だよゴリラくん、100点中。本当に成長したね。初日のプリンとは雲泥の差だよ」

「ありがとうござます。本当にうまく作れるようになりました」

「もう、君に教えることは何もない」

「料理しか教わってませんけど! 作曲は!?」

 俺が盛大にツッコミをいれてたそのとき、誰かがキッチンに入ってきた。

「おじさん、インターホンが壊れてるんじゃない? 何回も鳴らしたんだけど……」

 礼二さんのことを「おじさん」と呼び、ややくだけた口調で話してきたハンサムボーイ。
それは紛れもなく、俺の宿敵である如月タクトだった。


To be continued...