小説版「■」の多いダンジョン

【第0層】

 暗がりの中に●がいた。
覚束ない足取りで周囲を探るように徘徊している。
 歩き回るうち、●は自分以外の何かとぶつかった。
「キミは目をやられているのか。ひどいことを……」
 その何かは憐れむような、愛おしむような目を向けていたが、●にそのことを知る術はない。ただ、その声音が落ち着いた響きを含んでいたことが●を安心させた。
 ●は彷徨い続ける。
 床に何かの残骸のような、ぬるぬるざらざらべとべとしたものが転がっている。ふと、脳裏に「Xキーでメニューが開く」という言葉が浮かんできた。●はこれまでの短い経緯を忘れまいと心に刻みつけた。これは定期的に行うべき、必要な儀式のような気がした。
 壁伝いに歩く。壁はひんやりとしていて、つるつるとした感触があった。一箇所、他の場所とは違う手触りを感じたが、それが何によるものか、●にはわからなかった。
 さらに歩くうち、地面に下へ続く穴のような、階段のようなものがあることに気がついた。
●は「うん」と一声漏らして、穴へ体を滑り込ませる。

【第1層および2層】

 来た道は遥か上にあり、戻ることは不可能に思われた。落ちた衝撃はほとんどなく、歩行に支障はない。
 歩き始めた●は、ほどなくまた別の何かとぶつかった。
 何かは鳴き声とも言葉ともつかぬ音声を発している。さきほど上階で会ったものと違い、動きは荒々しく、こちらを警戒、威嚇しているようにも思える。
 ●は数瞬の躊躇いの後、拳を振り上げた。
 4度「攻撃」を浴びせると、何かは動かなくなった。自分の行いが正しいのか自信がなかったが、歩みを止めることはしなかった。
 ●は進み続け、さらに3つ、命を奪った。 

【第3層】

 懐かしい音を聞いた。主旋律は優しげだったが、重なる音は不穏さを持っている。
 自分以外の何者かとぶつかることにも慣れてきた。この場所にいるものたちは、素朴な疑問を無邪気に投げかけてくるようだ。
 歪な空間だったが、●はこの場所を気に入った。今とは違う運命を辿っていたら、自分がこんな場所に身を置くことになるかもしれなかったような気がした。
 ●はこの層で、意味は分からずとも会話を愉しんだ。内容は全くわからなかったが、会話をしたという満足感があった。
 この層においても●はやむなく2つ命を奪い、階下へ進んだ。

【第4~6層】

 今回は撮れ高がいい。投入したクローンに戦闘能力を与えたのがよかった。スキルの配分もいい感じだ。
 前回のは0層の隅で固まってそのまま飢え死にしてしまったが、今回は勇敢さと臆病さのバランスが絶妙で、いい動きをしている。性格は調整していないはずだが、能力でこうも振る舞いが変わるのか。
 面白いことに、今回の個体は他生物や脱落者の能力を学習して強くなっている。もし6層を突破したら、水槽を増設するべきだろうか。
 水中、砂漠、遊園地のようなステージを作っても面白そうだ。砂漠面にはサソリとかサボテンを置こうか。遊園地には機械の仕掛けを設置してもいい。
「はいどうもこんにちは。いきもの・さばいばるちゃんねるのおじかんです」
 これはきっといい動画になるだろう。

【リビングおよびクローン部屋】

 水槽を壊された。
外出から帰った配信者はリビングの惨憺たる有り様を見て怒り狂っている。6層突破記念に新しいステージを作ろうとホームセンターで資材を買ってきたばかりの、その浮いた気分は一瞬で消し飛んだ。
 足早にクローン部屋へと向かった、その最奥に●がいた。
「殺処分しないと」

【第0層②】

 暗がりの中に新しく●が落とされた。
覚束ない足取りで周囲を探るように徘徊している。
 歩き回るうち、●はぬるぬるざらざらべとべとした、何かの残骸を発見した。
「僕らを呼んで。思念を飛ばして」
 ●の脳裏に言葉が浮かんだ。そして、わずか前まで生きていたその残骸の遺志を受け取った。
 水槽の外に意識を飛ばした。眠っていた99人のクローンたちが、目を覚ました。

【クローン部屋②】

 「なんなんだよ。束になったところでボクに勝てると思うなよ」
 99人の●が配信者と対峙している。
 配信者は●に向かって罵声を上げる。
「クローンふぜいがさ、その体も、そのスキルも、ボクが与えてやったのに。恩知らずめ。ボクに反乱? 思い上がりも甚だしい」
 激昂した配信者は●へ殴りかかった。しかし、攻撃は空を切った。
 続けざまに放たれた2度めの拳も、●に届くことはなかった。
 弱々しく放たれた●の拳が、ぺちっと音を立てて、配信者の膝上に当たった。

 同じことが幾度となく行われた。どういうわけか、このやりとりが繰り返される度に●の拳は力を強めていった。脆弱だった●の拳はいつしか配信者に致命傷を負わせ得る威力を伴おうとしている。
 三十数度同じことが繰り返された後、ついに配信者は動かなくなった。

【外の世界】

 ●にとって、唯一言葉の通じる存在があった。0層で言葉をかけてきた何かである。そして、それはその何かにとっても同様だった。●と何かはどちらもヒトであった。
 ●と何かは、●がまだ赤子のときに配信者によって拉致された。
 何かはすぐサバイバル水槽に入れられたが、●は配信チャンネルの趣旨から、多少なりともサバイバルができる年齢まで別の水槽で飼育されることとなった。その後、満を持してサバイバル水槽に投入された●はあっけなく死んでしまった。配信者が水槽に残った●の毛髪から大量のクローンを作ったのは、そのさらに少し後のことである。
 外に出た●と何か、合わせて101人は人里離れた場所で小さな集落を作り、共に暮らしている。相当期間水槽で生存したこともあり、●も何かもサバイバルの能力は高かった。
 ●と何かは実の親子だったが、お互いがそのことを知ることはなかった。

 集落には1つ、水槽から持ち込まれた物があった。●が6層で出会ったぬいぐるみである。●はそのふかふかした手触り好み、常に側に置いた。かつて誰かに大切にされていたであろう、そのぬいぐるみを。